初めての日本語教師日記①(教え子の初テスト)

私は今、あるロシア人に日本語を教えている。

生徒の名前はMさん(仮名)という。

Mさんの目標は日本に旅行に行くことで、独学で3年ほど勉強をしていたらしい。

Mさんのことはmeet upの掲示板で見つけた。

最初はお互いに緊張していたが、今は慣れたもので、週に2回2時間づつ楽しく授業をしている。

 

Mさんの希望は文字を覚えることだった。

出会って1ヶ月半程度で、カタカナと小学一年生が習う漢字を40文字を教えた。(平仮名は知っていた)

Mさんは非常に勉強熱心で必ず宿題をやってくるし、授業後も毎回カフェに残って自習をして帰る。

その熱心さにあてられて、当初の計画よりも前倒して授業をしている。

 

だから、ふと、Mさんは私の授業スピードについて来ているだろうかと心配になり、初めてテストを行うことにした。

テスト内容はMさんの苦手な曜日に関する漢字、カタカナ、助数詞の3つだ。

テストの結果は惨憺たるものだった。完璧だと思っていた曜日は書けないものがあったし、

沢山練習したはずのシとツ、ンとソの違いがわかっていなかった。

助数詞に関しては1つも合っていなかった。

私は成績にpoor/very badと書いた。書きながら顔は笑っていたが、少しショックを受けていたし、なんなら少し怒りも感じていた。あんなに教えたのに!という気持ちだ。

学生時代の先生が生徒の点数が悪い時に嘆いていたのは、こういう気持ちだったのかと思った。

 

だが、いまこうしてブログに書いて客観的に状況をみると、反省すべきは完全に私である。

・今までに生徒の理解を確認してこなかった

・毎回新しいことを教えて復習をあまりしない

・一回に教える量が多い

反省は沢山ある。

今回のテストはMさんの学力ではなく、マンツーマンにも関わらず生徒を置き去りにしていた私の不足を暴いたのだった。

 

何度も書くが、Mさんは非常に熱心でとてもいい生徒だ。

私は日本語教師どころか、人にものを教えることすら初めての初心者である。

そんな私の授業に一所懸命耳を傾けて、慕ってくれる生徒に出会えて、私はかなりラッキーだと思う。

だからこそ、絶対に上達してほしいし、日本語や日本をもっと好きになってほしい。

 

また、次の40文字を教えたら大きなテストをしようと思う。

次のテストは、Mさんのテストだけでなく、私の教え方のテストでもある。

1回1回の授業をいままで以上に用意していくぞ!!

香港人と話して考えた言語についてのこと。

香港人と話して考えた言語についてのこと。

 

日本を出て初めて香港人とはなした。

香港・台湾は政治的に難しい位置づけの国だ。彼らをchineseと呼ぶのは配慮が足りない。もちろん、呼び方を気にしない人もいるが気を使った方が良いと思う。ちなみに台湾人をtaiwaniese(タイワニーズ)と呼ぶのは有名だが、香港人はhonkoner(ホンコナー)と呼ぶらしい。香港人から聞いたので間違えないだろう。

と豆知識を披露したが本題はここではない。ただただ覚えたての知識を披露したかっただけなのである。

 

そう、今回の本題は言語だ。

中国本土・台湾・香港は下記の通り言語と文字に違いがある。

中国本土 マンダリン・簡単な文字

台湾 マンダリン・難しい文字

香港 広東語・難しい文字

知人の香港人によると、広東語が現在ゆるやかに消滅に向かっているらしい。中国政府の意向により、香港の中国語の授業でもマンダリンを教えているからだ。いま香港人が広東語を使い習うのは家庭が主流らしい。しかし、中国本土からの移民も多く、そのような家の子は当然家庭でもマンダリンを使用するので、広東語を学ぶ機会がないそうだ。

知人ら言語の消失を憂いていた。

おかしいと言っていた。

私も悲しい気持ちになった。

 

一方でセブ島で見た別の事例も思い出していた。

フィリピンは7000以上の島から構成されていて、言語も多岐にわたる。わたしが滞在したセブでは、首都マニラのタガログ語・英語・セブアノ語(セブの言葉)の3種類を使っていた。

セブで仲良くなった同い年の友達は英語が一番得意らしい。親はセブアノ語が得意だけど、私と姉はいつも英語で話してる。そう語った。

若い人は日常会話はできるが、高度なセブアノ語を話せなくなってきているらしい。

そう語る彼女に悲しみを感じる事ができなかった。彼女は言語の緩やかな消滅を自然なことのように捉えているような気がした。

日本でも、味噌汁をおみおつけと呼ぶ人は少なくなったし、おおきに~と言う大阪人は上の世代だけらしい。

反対に、ヤバい・マジは市民権を得て一般に広く使われている。確かに、言語の移り変わりは起こっているのだ。

 

言語の消滅は自然なことなのかわからない。大多数の人が話す言語を使えたら便利かもしれない。ただ、世界中が来た言葉を話して、似た文化で生きることはつまらないなとはっきり思う。

そんな私も現在はワーキングホリデーの真っ最中で、英語とスペイン語と韓国語を少しづつ勉強中だ。海外にはたくさんの多言語話者がいて、自分の能力の低さに愕然とする。と、同時に自分は日本語だけはネイティブだとアイデンティティを見出すようになった。だから、海外に来たにも関わらず日本語の勉強も少ししている。

このはてなブログもその一環だ。

ネイティブジャパニーズスピーカーとして日本語の文章も魅力的に書けるようになりたい。

体力がない

体力がない!!!

体力がない。体力がないって本当に大変なことだと思う。


今のバイト先は休憩込み8時間労働で、トータル2〜4時間は休みだ。だからなんとか働けているけど、日本で正社員の仕事をしていたときは本当に辛かった。一日9時間労働・10時間拘束がデフォで、帰るとなにも話せない位にクタクタだった。でも、私より早くに出社して遅く帰る先輩は、仕事の後に上司と飲みに行っていた。先輩は学生時代に女子サッカーを本気でやっていたらしい。


一方の私はユル吹奏楽部出身。それも途中で辞めた。吹奏楽部だと言うと、ほぼ運動部じゃん!なんて言われることもあるが、それはガチ吹奏楽部の話である。ユル吹奏楽部は本当にユルい。生粋の文化部だ。友達も少なかったので、休みの日は家に引きこもるか、図書館でダラダラしていた。それゆえ、学生時代から慢性的運動不足、片頭痛と肩こりの耐えない十代を過ごした。そして、アラサーの今、突発的な片足の足の痺れに驚いている。調べてみると血流が滞ると起こる症状らしい。余りの恐怖に体に鞭を打ちジムに出かけた。三十分程の簡単な運動で血が巡ったのを感じた。運動って素晴らしいな。そう感じた。トレーナーさんからは週に2回は来ないとと少しお叱りを受けた。

 

しかし、私はサボった。
いや、厳密には次の週は2回行った。そのあとサボった。運動をしてこなかった人間には、運動を継続することが難しいのだ。

 

話を戻したい。

私は今の仕事が好きだ。給料も充分だし、距離をとっても良い人間関係、体力的に耐えうる仕事時間。唯一辛いのは月に一週間ある夜勤だけ。控えめに言って最高だ。
しかし、私でも耐えうる仕事というのは、周りの人にとっては余裕な仕事ということらしい。副業をしたり、学校に行ったりしている人が多い。私にはそこまでの余裕はない。

体力がない故に無理をしない、そして体力が落ちる。体力のある人間は、体力がある故に頑張り、さらに体力をつける。大人になって実感した。体力の差は人生の差だ。
体力をつけたい。

肩こりとおさらばしたい。

朝さっぱりと目覚めたい。